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[TRPG]「話し合いで解決する」という方法論の罠

 RPGで起こったトラブルを解決する手段として「話し合う」というのはよく言われている。
しかしながら、果たしてそれでいいのか。

 RPGの途中でトラブルが起こった時点で話し合いを行う。この際にRPGにおいてゲームの空間が適切に守られた状態でトラブルシューティングを行うためには、その話し合いについて、出てくる要素については、それこそRPGの大部分の構造を構築するだけの注意深さが必要になるはず。

 もしこれが守られなかった場合、その話し合いによってより深刻な問題が発生してしまう。安直にゲームの空間が広がってしまうと、その空間に開いている穴が見えてしまうことになる。

 そもそも、ゲームデザインについて、安直にゲーム空間を広げないのはその穴があることがわかっているからが大きな理由の一つなのではないか。ゲームデザインが上手いゲームデザイナーは意識的、または無意識的に、ゲームデザイン中にその穴があることを感じ取り、無駄な部分をシェイプアップしていくように感じる。

 たとえば、私の作った落ち物ゲーム「FLOATIA」、作成中(10年前以上)に何人かプレイしてもらって感想を聞けた(まだ感想が聞けるぐらいプレイしてもらえただけ幸運なゲームだった)。その中で「横方向のブロックの移動は今の倍の段階(半キャラ分の移動)に出来るのでないか」というものがあった。

 「できるもんだったらやってるわ」というわけではない。ただでさえ通常の落ち物ゲームよりもルールが複雑なのにこれでキャラクタの半分での移動を実装すると、「FLOATIA」の「比重0.5のブロック」の美しさが台無しになるのである。半キャラ分移動できた場合のブロックの浮かび方なんかは、たぶん一つ論文が書ける、が落ち物ゲームとしてのストレートに落とす感覚が確実に失われると感じたし、その選択は今でも間違っていないと自信を持っていえる。

 TRPGに話を戻せば、話し合いという行動は、それぞれのプレイヤーがゲームのシステムの形式をとらず、ゲームのシステムを越えて話し合うということになる。当然のことながら、ゲームを台無しにすることを言おうといえば言えてしまう。TRPGerがその「ゲームを台無しにする言葉」を使わずに話が出来るかといえばそうではないのである。
 
 もちろんTRPGに限らず、一般的なゲームでも「ゲームを台無しにする言葉」なんてのはあって当たり前であろう。だが、臨場感や感情移入、競争性などが適切に発揮されていればそれを表に出てくることを抑止することが出来る。TRPGにおいても感情移入(自分のキャラクタが可愛い)と競争性(正しいルールで勝敗を決める、勝敗のためなら知性を絞る)がきちんと両立、両輪、絡み合いながら運営できている限りはけしてほかのゲームよりその点で劣っているとは限らない。
 問題はその両輪が逆に回りだした際に、車輪を切り刻んで二足歩行ロボットを作るような話し合いになってしまうことなのではないか。

 特にトラブルシューティングはトラブルのない状態に戻すことが重要であって、迂闊な事を言うことは必ずしも正しくないのである。

 料理番組の包丁の使い方で人の刺し方を話題にすることはない。同様のことがTRPGでは出来ないのか。

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[TRPG]偽楽観主義者

どうもSeyfertSluwは周りから見ると悲観主義者だと思われたようで。

でも、「きちんとしたゲームシステムを構築したらTRPGはもっと面白くなる」という立場だと自分では思っているので自分は楽観主義者だと思っている。

じゃあSeyfertSluwを悲観主義者と評した人はどうなんだろう。
「現状のTRPGでも自分で面白くしてるから」
「TRPGは所詮道具だから使う側がTRPGを面白くすればいい」
そんな意識なんではないか?

 その根底には、本当にTRPGが大事だという意識ではなく、もっとゆがんだものがあるように思えてならない。

さらに書くと、前々から書いているとおり「きちんとしたゲームシステムを構築すること」は
とんでもなく難しいとも思ってる。DeskTopTroopersだってその点についてはあきらめている部分もあるが、その分動的なゲームとしての面白さを構築するためのロジックは埋め込んでいるし、前にも首ナイフ問題で結論がそれだった。
 でもそれができないと考えるほうが「悲観主義者」であって「でも楽しんでるから」というのは所詮「偽楽観主義者」でしかない。

 自分の行動の結果を「楽観」するのは目標に向かって努力する、目標を達成するという意味では必要なこと。
 目標に向かわなくてもいい、目標がないことを問題にしないのは「楽観主義者」の中でもレベルの低い意識でしかない。

 TRPGはそんなレベルの低い意識でプレイするものじゃないよね。

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[メタ]ココログのパフォーマンス問題について

ぶっちゃけ、ブログペットとかアフィリエイトのリスト、その他を馬鹿みたいに貼り付けているやつは

「さっさとココログやめてもらって結構」

だと思ってる。重くなる原因のひとつだ。

まあほかの無料ブログにでも移転すればー、としか思ってない。

ココログフリーも「ココログ」とついてるけど別物と一瞬で認識したんで、まあブログで金儲けなんて
不可能なんだなー、としか思わなかった。似たような経緯をたどったサービスなんていくらでもあるし。

安易にビジネスチャンスだと思ってるやつが、「馬鹿」なんである。

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[TRPG]TRPGは道具だとすると

かって「新鱈墓栄」と漫画家がいてだなぁ、顔はスタンプ、背景はコピーを切り貼りして……

って、「ハイスクール奇面組」(新沢基栄)の中で登場する「漫画内漫画家」という架空の存在なわけですが、
当然ストーリーの中ではそれでやっつけてしまう(やっつけ仕事をしてしまう)。

 スタンプも鋏もコピー機も道具である。じゃあ漫画を描くという作業でそういう使い方をしていいかといえば
ギャグ漫画で閉じた世界ならともかく、普通の人なら眉を顰めるのもたしか。

 ストーリーを作るいっても「漫画を顔はスタンプ、背景はコピーを切り張りして作る」という行為と
同じようなことなのでは問題ではないのか。

 TRPGでストーリーを作るって「顔はスタンプ、背景はコピーを切り張りして作る」になってないか?
 たしかに「顔のスタンプ」自体単体は存在を否定されるものではない、しかしながら、それは
どこでも使っていいものでもない。十歩譲っても、使った後も「顔のスタンプ」であることは最後まで付きまとう
ことになるはず。

 SeyfertSluwはどうも「悲観主義者」らしいからなぁ。心配のし過ぎなんだろうか。でもこれで納得するのって
おかしいことと思わないのだろうか。

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