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脱力:“ゲームは有害だ”と言うだけでは社会的にも停滞感が生まれてしまう

“ゲームは有害だ”と言うだけでは社会的にも停滞感が生まれてしまう

「September 12」は街中(画面内)を徘徊するテロリストを、ワンクリックでミサイルを撃ち込み倒す、というものだったが、街には大勢の一般市民も歩いているため、そちらにも被害が出てしまう。

これ読んで、「スティールガンナー」(ナムコ)思い出したのは私だけですか?

 では、一般市民を巻き込むとどうなるか? 肉親を失った家族がテロリストへと変身してしまうのだ。とは言え、どんな理由があろうとテロリストを放置しておくことはできないため、またミサイルを撃ち込むのだが、そうなると再び一般人にも被害が出る。そして、またその肉親がテロリストに……といった感じで、いつまでもテロリストは減ることがない。

 つまり、“テロリストをミサイル攻撃することがいかにナンセンス”かということを、ゲームを通じて体感できるものになっているというわけだ。

ぶっちゃけこんなのは(特にアメリカ人には)通用しないよ。「スティールガンナー」だってそんなこと微塵も感じさせてくれなかったし。
まあ「スティールガンナー」は「あえてバカになる」典型的な例なんで不適当かもしれないが。

確かにキャラクターありきでシリアスゲームを作っても、その時点でキャラクターが一番なのだから、その効果は薄くなってしまうのは当然かもしれない。では、どのようにシリアスゲームは作るべきなのだろうか?

藤本氏は「“ゲーム性を加味する”ことです。普段は注目しないような現実世界の活動、草むしりや皿洗いなどでも、ゲーム性を加味することで使えるものに生まれ変わることもあります」と語っていた。つまり、学びたい(学ばせたい)知識とゲームをどのように絡めるか、それがシリアスゲームをデザインするうえで、重要なポイントになるということだろう。

一番日本のゲーム業界が駄目なところじゃん。
まだモータルコンバットのほうがゲームとしての独創性あるぞ?

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